「城の崎にて(きのさきにて)」はご存知ですか?
明治から大正時代にかけて活躍した文豪「志賀直哉」。
たとえ文学に疎い人であっても、学校の教科書などでその名前は聞いたことがあるかもしれません。
志賀直哉の短編小説・随筆の中で一番有名な作品といえば、
大正6年(1917年)に白樺派の同人誌”白樺”で発表された「城の崎にて(きのさきにて)」でしょう。
「城の崎にて」のあらすじはこうです。
「城の崎にて」の主人公”自分”は、東京山手線の電車にはねられ怪我をし、後養生に兵庫県の城崎温泉を訪れる。
ある日のこと、”自分”は小川の石の上にイモリがいるのを何気なく見ていた。
驚かそうと投げた石がそのイモリに当って死んでしまう。
哀れみを感じるのと同時に生き物の淋しさを感じている”自分”。
これらの動物達の死と生きている自分について考え、
生きていることと死んでしまっていること、それは両極ではなかったという感慨を持つ。
大正2年(1913年)、30歳だった志賀直哉は、この小説を城崎温泉の老舗旅館”三木屋”で書いています。
志賀直哉は、山手線の電車にはねられて怪我をし、養生のために城崎温泉を訪れて3週間ほど滞在していたのです。
そうです。
「城の崎にて」で描かれた”自分”は志賀直哉本人。
電車にはねられて怪我をした後、生死について考える自分自身の姿を、
城崎の地で小説として書き記したものが「城の崎にて」なのですね。
”三木屋”では、部屋の窓際の籐椅子に座って、庭を眺めながらよく物思いにふけっていたそうですよ。
志賀直哉は小説「城崎にて」を発表した後も、生涯に十数回、城崎温泉を訪れており、城崎についてこう語っています。
“『温泉はよく澄んで湯治によく、周囲の山々は緑で美しい。
おいしい日本海の魚を毎日食膳に出し、客を楽しませてくれる。
人の心は温かく、木造作りの建物とよく調和している。”
温泉はもちろん、周囲の自然や美味しい食材、人々の優しさすべての調和が素晴らしい街だと城崎を評しているのですね。
また、城崎温泉は志賀直哉の他、“島崎藤村”や “司馬遼太郎”など多くの文人からも愛されてきました。
明治・大正期の歌人・詩人夫婦、”与謝野寛”と“与謝野晶子”も夫婦で城崎温泉を訪れ、こう残しています。
日没を円山川に見てもなほ 夜明けめきたり城の崎くれば(与謝野 晶子)
ひと夜のみねて城の崎の湯の香りにも 清くほのかに染むこころかな(与謝野 寛)
そんな文学の街、城崎温泉を小説片手に散歩するのもおすすめですよ。