北但大震災
今から1300年前、城崎の地を訪れた道智上人が、病気の人々を救うために開湯した城崎温泉。
開湯から1300年の間、城崎温泉が経験した最大の危機は、
大正14年(1925年)の北但大震災だったことは間違いありません。
大正14年5月23日午前11時9分、豊岡・城崎方面にマグニチュード6.8の烈震が走り、多くの家屋が倒壊した北但大震災。
水平動からはじまった揺れが、次第に上下動となって家屋を倒壊し、続いて大火災が発生しました。
城崎の街は、24日未明まで燃え続けたといいます。
城崎での死亡者数は272人。昼食前の時間帯であったこともあり、
家屋内で倒壊や猛火の犠牲になったケースが大半でした。
有名な外湯など各浴場も地蔵湯の一部を残して倒壊・焼失しましたが、
北但震災誌は被害状況を次のように報告しています。
無慙にも破壊された浴槽には湯気のみ無常に立ち上り、
寂莫荒涼の中に昔日の面影を偲ばせるのみ。
北但大震災を受け、いち早く救護活動に立ち上がったのが大阪毎日新聞社。
続いて、地元城崎の青年団による支援活動も実施されました。
城崎青年団の面々は自身が被災者でもあります。
その他、鳥取高等農業学校の学生有志による救援隊の結成、
但馬の歯科医師による救護活動などが次々と行われました。
北但震災誌は、共助による救護活動に対しても、こう報告しています。
このような心温まる支援は大震災からの復旧・復興に向け日々休むことなく活動している人たちの心に、
どれだけ温もりを与えるものだっただろうか
現代に生きる私たちも共助の大切さを彼らから学びたいものです。
その後、温泉街においては、復興の第一弾として、外湯の復旧が進められました。
大正15年から昭和7年にかけて6か所の浴場を新築。
外湯を中心とした旅館・商店・街並みなど、昭和10年には、現在の城崎温泉の骨格がほぼ完成しました。
北但大震災により一度はすべてを失ってしまった城崎温泉ですが、
城崎の人々の共助の精神がなければ、ここまで早く復興できなかったでしょう。