"一番目"にできたから「一の湯」ではない
城崎温泉といえば、7つの外湯めぐり。
7つの外湯のひとつ「一の湯」は、城崎でも人気の外湯ですが、
どうやら一番目にできたから「一の湯」ではないようです。
実は、「一の湯」ができた江戸中期、「一の湯」は”新湯(あらゆ)”という名前でした。
浴効と山川の美しさでその名が知られつつありましたが、
“新湯”を一躍有名にしたのが、江戸時代の名医“香川修徳”が1734年(享保19年)に書いた「一本堂薬選」でした。
香川修徳は、「薬選」の中で、「但州城崎新湯(一の湯)を最上至極天下第一湯とする。」と述べています。
天下一の温泉だと賞賛された新湯は、一の湯に改名することとなりました。
「一の湯」の”一(いち)”は天下一の”一(いち)”なのですね。
「一の湯」の足湯には”海内第一泉(かいだいだいいちせん)”の碑があり、
この”海内第一泉”の書は、近代温泉学の権威、藤浪剛一博士によるものです。
藤浪博士も碑文の中で、「一の湯」をこう讃えています。
城崎温泉共同浴場の清楚たるは、未だ嘗て他に見ざる所、
昭和の今日海内第一湯と称するも敢えて過言ならずとする。
その高い泉質で著名な「一の湯」ですが、裏山の自然岩を利用した半露天の洞窟風呂も名物です。
岩肌に囲まれて入浴していると、自分が包まれている感じがするともっぱらの噂です。
江戸時代から現在まで、多くの名医が絶賛してきた「一の湯」ですが、“開運招福の湯”という別名があります。
合格祈願・交通安全のご利益があるとされていますが、果たして名湯は勉学の成就にも効くかどうか?!
「一の湯」の秘める温泉パワーは、是非、ご自身で体験してみてくださいね。